2010年9月1日水曜日

安室奈美恵 - New Look

安室奈美恵を自分の音楽サイトで聴いていた。
やっぱ全然衰えてないよね。

ソングライターじゃないんだけど、不思議と彼女が歌う楽曲には素晴らしいものがある。
それは歌い手としてのクオリティも然ることながら、幅広い表現力もあるのだと思う。
勿論、売れたシングル曲ではなく、それ以外の曲が好きだ。

Maxと組んでいたデビュー時はストレートだったが、それが逆にソリッドで格好良かった。
でも当時は認めたくなかった。
Doubleが本格的なR&Bの中に日本語、英語を混ぜ自然色で表現していたのに対して、当時の安室のR&Bは何処かぎこちなかった。
本来であればDoubleがブレイクしても良かったのだが、98年のあの当時、英語と入り混じりする本格R&Bがリスナーの耳に馴染めなかったのかもしれない。

DoubleはSACHIKO在籍時のときが一番輝いていた。
残念ながらSACHIKOはクモ膜下出血で25歳という若さで亡くなっている。
MTVでTLCやBlack IvoryやDoubleをよく視聴していた。
SACHIKOの訃報を聴いたときはショックだった。

あの頃のDoubleと、ここ数年の安室がようやくリンクし、それが安室ブランドとしてオリコンに戻ってきている。
やはり巧い歌い手がいるからこそ、幅広くて質の良い楽曲と噛み合うのだろう。
昭和歌謡が正にそうだったと思う。

宇多田ヒカルは1stのみで海外R&Bを大分削って日本色にして、ソレが流行となった。
しかし彼女が持つアイデンティティは狭すぎた為、2nd以降はキャパが追いつかず、それ以降もネタ切れで苦しんでいた。
これはソングライターの限界を示唆しているのだ。
影響を受け、自分の中でパズルの如く何パターンかのコードロジックができる。
しかしその容量はほんの僅かなため長続きはしない。

浜崎あゆみは流行を求め過ぎ手段を選ばず撃沈してしまった。
倖田來未はヒール・コアぽい路線でいけば良かったのだが、如何せんこの3人は実力不足だったと思う。
それ故に楽曲のレパートリーが狭められ、80年代のニューウェイヴ同様にテクノ頼りの如くコンピュータを強引に詰め込み過ぎた。

安室奈美恵には優秀なブレーンとアルバムごとにコンセプトの色を巧く変える敏腕プロデューサが居るのだろう。
それに対して安室が自然体で表現できるところが凄いと思う。
故にチームとして機能しているように思える。

宇多田はこれまで個人プレイで乗り切れたものの、ギネスを飾った1stで過大評価されプレッシャーで押し潰された感が否めない。
浜崎、倖田は歌い手としての技量が乏しく個性で走ってきたが最早限界リミッターは切れている。
しかもエイベックスの株を左右するアーティストなので彼女達の色に染めればいいのだが、日本の最大レーベルということもあり、流行を肉付けし過ぎていると思う。

「New Look」を聴いていたのだが素晴らしい。
The Supremesの「Baby Love」(1964年)のリメイクらしいが、俺はBeatlesの「Getting Better」に近いと思った。
ベースラインとリズムが類似しているし、ボーカルラインのフレージングや韻踏みも巧い具合に似せているように思える。
意図的にそういう風に作られている感がして逆に好感が持てる。

ただ一般層が抱く安室の評価は「綺麗」だの「ファッションセンスが良い」だの、音楽以外でのフューチャーのされ方が多いが、俺はミュージックとしての安室奈美恵を評価している。
勿論、苦しんでいたときは「酷い」と思ったときもあったけどね。

安室奈美恵 - New Look